前回、前々回と大まかに、「ヘッダー」「転造(ローリング)」のお話をしました。
小ねじの相手側は、ナットやタップ(雌ねじ)が切ってある部品です。
少量の生産の場合には、相手側にタップ加工し小ねじで締めつけていましたが、大量生産の時代にはいると、タップ加工の手間も省いてしまいました。 (一工程抜いて全体のコストを下げられる)締めつけるねじ自身で、タップ加工もしながらねじ締めしてしまう方法です。
この締めつけに使われ始めたのが、今では市場に溢れている「タッピンねじ」です。
タッピンねじの歴史も古く、1880年には、ドイツで最初のタッピンねじが発明されています。
1914年にはアメリカで工業化に成功し、日本では、1954年(昭和29年)当時の通産省の要請によりヤマシナが国産化に成功しました。 不幸な出来事(朝鮮戦争)の後でしたが、当時は凄い右肩上がりの景気だったようです。
1955年(昭和30年)に国産のトランジスターラジオが開発されています。(昭和の薫り漂う懐かしい響きです)翌年からの神武景気、その後反動でなべ底景気もありましたが、1958年(昭和33年)から42ヶ月続いた大型の岩戸景気で完全に日本は復活しました。
いわゆる「白物家電」は、作れば売れるの時代だったのでしょう。
当然、生産のスピードアップが図られ、タッピンねじも大量消費の時代を迎えたと思われます。
更に1966年(昭和41年)には、日産から サニー、トヨタからカローラが発売され、大衆車の時代に突入します。 当時テレビ、冷蔵庫、洗濯機、車に使われている材料は、鉄板が多く、材料の厚さも1,0mm~1,2mmmmが中心でした。
プレスで相手材料である鉄板にあらかじめネジ締めする下穴(単なる穴、又はバーリングと言う穴)をあけておき、この下穴に直接タッピンねじを締めつけていきます。
当然鉄板に、鉄のねじを締めつけますから、同じ状態では「ねじ」の方が負けてしまいます。
(図 バーリング穴)
これを解消するために「ねじ」に特殊な熱処理をして、硬く、強くします。
この熱処理を「浸炭焼き入れ」と言います。 ねじの作り方は、小ねじを作るのと同じですが、(材料も小ねじとは異なります)途中にこの「浸炭焼き入れ」の工程が入ります。
ヘッダー → 転造 → 浸炭焼き入れ → 表面処理(メッキ)の工程になります。
メッキの種類により、メッキ後「ベーキング」と言う、熱処理の工程も入ります。
(材料、メッキなどは別途説明されますので・・・)
「浸炭焼き入れ」は、鉄(鋼)の炭素含有量を増加させるため、適当な浸炭の雰囲気の中で加熱して、炭素を浸透させる熱処理です。
現在はプロパン、ブタンのような炭化水素を含む浸炭ガスの雰囲気内で行います。
浸炭されたねじは、表面のみ硬くなって、内部は靱性(ねばりがある)を保っています。
最初の頃は、浸炭し過ぎて(内部まで硬くなり)締めつけるとねじが折れたり、頭が飛んだり事故が多く発生しました。
目次