ねじの歴史1|ねじの基礎知識講座|ねじJAPAN

Vol.3 ねじの歴史1

ねじの技術は、古くから色々な物に使われてきました。
紀元前2600年にはピラミッドの建設に「ねじの生命」とも 言われる「斜面の原理」が使われています。
ねじとして最初に知られているのは図1、のアルキメデスの揚水ポンプです。
これは紀元前280年頃に実際に使用されていたようです。
全てが木製で作られ、真ん中の 木製の芯棒に螺旋状に板を打ち付けてあり、芯棒を回すことで、低いところから高いところへ、水を供給しました。
主に灌漑用水に使われ、又船底の排水にも利用されたようです。
内部が見えるように蓋もついています。この技術が日本に入ってきたのは、1700年代になってからで、佐渡金山の坑内の排水に使われていました。アルキメデスの発明から、2000年も後のことです。 ねじの機能の一つである液体、流体などの「輸送の役目」を果たしています。
現在の樹脂射出成型機(インジェクションマシーン)に粒状の樹脂ペレットを送るスクリューの役目と同じ原理です。


(図1 アルキメデスのポンプ)

次に多数発見されているのが、オリーブの実を圧搾しオリーブオイルを取るのに使用したと思われる木製の三角ねじがあります。 これは紀元前240年頃に ギリシャで多数使用され、葡萄を搾るのにも利用されていました。
これもねじの機能の一つである、プレスや万力のような「大きい力に変える」役目を果たしています。 ギリシャ時代からローマ時代へと移行する中で、ねじは色々な物に応用されていきます。 ねじのついた金製のブレスレット、馬具、鎧などの止め具に使用され、青銅製の外科用手術器具、建築に使用したねじジャッキなど、ねじ本来の「締結」や「細かい位置の調整」の役目を果たしています。
西暦1450年頃に、グーテンベルクが印刷機を発明しています。(図 2)これはオリーブオイルをとるプレス機の原理をそのまま使った機械です。この頃未だ日本には金属製のねじはなかったようです。
ねじは巻き貝に似ているところから、東洋では、最初は「螺絲」後に「螺子」と称されるように成ったそうです。


(図2 グーテンベルクが発明した印刷機)

紹介しました様に、「揚水ポンプ」や「オリーブ油の搾り機」などは、木製の材料を加工していました。日本に於いても「からくり人形」が代表的な物ですが、歯車、送りねじの類の部品は全て木材製でした。「ねじの作り方」は、当然ノコギリ、カンナ、ヤスリ、などを使用した、いわゆる「大工工事」でした。
ねじよりも、金属製の釘、鋲が中心に使われていたようです。
この類であれば、刀剣を作る技術があれば、焼き入れとハンマーさえあれば簡単に仕上げることは可能です。
ではいつ頃から、金属製のねじが多く作られる様に成ったのでしょう?

皆さんも学校で習われたと思いますが、絵画、彫刻、建築などで有名なルネッサンス時代の巨匠、レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)は ねじ切り旋盤のスケッチを残しています。(図 3)換え歯車まで用意した近代的な構想です。
また現在のハンドタップ(めねじを加工する工具)と同じ物をスケッチした記録が残っています。
右図の旋盤も多分木製の シャーシのために満足のいく金属製のネジは作れなかったと想像できます。


(図3 ねじ切り旋盤のスケッチ)

フランス王朝のルイ11世(1470年頃)の木製のベッドは金属製の木ねじが使われていたそうです。
1569年にフランス人がねじ切り旋盤(ネジ山を一本ずつ切削で加工)を開発した様ですが、これも木製の機械のため上手く稼働しなかったと思われます。

では、一方日本では(時代が遡りますが)石器縄文時代には、二つの物をくっつける技法として、蔓、縄、ひもの「結び」が中心でした。紀元前300年〜100年の弥生時代には木製目釘が使用されていることが判っています。
また西洋と同様に、西暦100年〜 500年には鉄製、青銅製の釘、リベットが武具、棺に使われ、927年には、延喜式で左大臣、平忠平らが各種釘の規格を明示しています。(標準化された事になります)
このあたり日本も、西洋も余り違いはありませんが、1543年に日本にとって驚く様な 事件が起こります。

これは次回に報告します。